訪問医師の紹介
患者さんの人生に
思いを馳せる
舩木医師
少し前、患者さんの米寿のお祝いにお招きいただきました。親戚が何十人も集まっての会でした。
その際、患者さんと奥さんと50年以上に渡る結婚生活を歌にし、思い出の写真をスライドで紹介しながら、プロの歌手が弾き語りをしました。
その患者さんは、今は寝たきりでお話しすることもできませんが、お元気だったころのお人柄やご夫婦がどんな人生を歩んでこられたのかを垣間見、皆、感動して涙を流しました。
全ての患者さんの人生には、深い意味があると思っています。
私たちがお邪魔した時に、「昔はこんなひとだったんですよ」とお話しいただくと、より患者さんへの親近感がわいて、ご家族がどんな想いで介護されているのか理解できることがあります。
静かに自宅で最期まで
浅井医師
Aさん(男性)は認知症による通院困難のため訪問診療を受けていました。とても医者嫌いとのことで、最初はうけいれてもらえるのかどうか不安でしたが、幸い気に入っていただき、いつも「先生はまだか?」と診察を心待ちにしてくださっていたようです。
「先生は歳いくつ?」「いいなぁ、髪の毛真っ黒やな、俺なんか見てみぃ、真っ白だわ。」と診察の際に毎回笑顔で話されていました。
ある時、進行した肺がんが見つかりました。病院で治療は難しいと判断されたため、自宅で療養されることになりました。
認知症の程度が重く、病名の告知はできませんでした。また、最期をどこで迎えたいかという希望をお訊きすることもできませんでした。
ある日、調子が良くないようだとご家族から往診の依頼があり、急遽訪問しましたが、その時には既に意識もほとんどなく、今日明日しか保たない状態でした。ぎりぎりまで連絡がなかったのは、「先生を呼ぶと入院させられてしまうから呼ばないでくれ」とAさんが奥様に懇願したからだったようです。自身の死期が近いのを悟っておられたようでした。
最期に本人が明確な意思表示をされたことで、私も家族も在宅で看取ることに迷いがなくなりました。翌日、自宅で静かに亡くなられました。深く思い出に残る患者さんでした。
1人で悩まないで
神谷医師
ある若い患者さんは、お母さんが一人で介護をされていますが、介護の悩みにはお力になれることが少なく、心苦しく思うことがあります。
でも、ある時「先生が来てくれると、部屋の空気が変わるんですよ。話を聞いてくれるのが嬉しいんです」と言っていただき、少し肩の荷が下りました。
医療では解決できない問題もたくさんあります。それでも私たちが訪問してお話しを聞くだけでも、お力になれるかもしれないと思います。
悩みを抱え込まず、聞いてほしいことがあったら、ぜひ話してみてください。
よく子育てと介護は共通点があると言われます。もちろん介護の方が大変な面はたくさんありますが、私も、特に子供が1歳までの育児専念中には孤独感や閉塞感を感じることがありました。
そんなときには、だれかと話すだけでも救われました。それが患者さんのご家族の思いと重なります。
患者さんのお宅にお伺いすると、最初は正座をすることが多いのですが、そのうち脚を崩させていただくこともあります。
体操座りなどし始めたら「じっくりお話しをききますよ~」のサイン。
明日も診療サポートの人と一緒に訪問します。なんでも話してくださいね。
積極的な治療を
しないという選択
加地医師
Sさんは、60代のころから脳梗塞で半身麻痺、失語症でした。
20年以上も奥さんに献身的に世話してもらい、文字を書いたり計算したり、前向きにリハビリに取り組んでいました。
その奥さんが病気で入院になり、数日後にSさんも肺炎で入院してしまいました。
誤嚥を繰り返し、もう口からの食事は不可能になりました。
鼻からのチューブや胃瘻、点滴という方法で栄養を摂ることはできましたが、本人が何かに繋がれたり、吸引されたりすることをとても嫌がり、辛そうにしていました。
痛いことや辛いことはもうやめてあげたい、と本人のことを一番大切にしている奥さんは自然な形での看取りを決断しました。
すべての管から解放されたSさんは、家に帰り、とても清々しい表情でいつものように握手をしてくれました。
少しだけ食べることもしましたが、結局うまく飲み込むことができませんでした。退院して1週間ほどでSさんは息を引き取りました。
奥さんがどんな思いで最期の数日を過ごしていたのか、それを考えるととても切なくなります。
命を延ばすことが苦しみを延ばすことにしかならないのであれば、積極的な治療をしないという選択を迫られます。
治療をすれば「何かしている」という気持ちで楽になったかもしれません。
でもSさんが望んだことを選択した奥さんの勇気を称えたいと思います。